郷土を越え、国際を跨ぐ: 今の世代はどのようなコンテンツを求めているのか

2018年9月14日

著者/Maple. 画像提供/好風光創意執行. 訳者/華原 許

類型作品の中で「リアル、そして台湾らしさ」という社会的文脈と心理的性格さえ掴めば、国際競争を前にして「台湾」というコンテンツは盤石な土台となるだろう。

「ロマンスは、現実社会に起こる焦燥を愛情を用いて立ち向かわなければならない。しかし、ここで表現される愛情は、中立的でも客観的なものでもない。このポジティブを源泉とした愛情を信ずるものとするために、ロマンス小説は迷いなく社会における最もぶっきらぼうな価値観をファンタジーへと変えるだろう。」 
──楊照(ヤン・ジャオ)「跨越時代的愛情」『夢与灰燼-戦後文学史散文論二集』

60、70年代の台湾では、政治による統制で健康写実主義(Health Realism)やメロドラマ、武侠映画などの非日常的なジャンルが人気を博した。これらの共通点として、リアルな社会の一面に触れてはいないという点である。それは当時におけるタブーでもあり、作者と視聴者が忌み嫌うものでもあった。60、70年代の台湾のロマンス小説についてレビューを行った作家の楊照は、ロマンスの裏には偏見と保守的な価値観が色濃く表現され、ロマンス小説自体が戦後台湾にやってきた中上流階級の外省人たちの娯楽に過ぎないと指摘している。更に、当時のロマンス小説を「時代がもたらした傷口を愛という万霊丹[1]で癒しているに過ぎない」と評論している。

彼の見解は、伝統的なロマンスと現代の台湾社会とのズレの要因を指し示すものでもあった。しかしながら、時代の色合いから今の世代は前の時代の恐怖や不安を抱え込む必要はなくなり、価値観の変遷に伴って新たなジャンル作品とニーズが生まれてきている。

「戒厳令解除後の世代」が描く十人十色のリアルな生き様

「解厳後臺灣囝仔心霊小史」を作者である著名小説家楊富閔(ヤオ・フーミン)は、1987年生まれの戒厳令解除後世代の作家である。彼が著作した「花甲男孩」の真正面から台湾の郷土や生活、文化に向き合った内容は、小説版が発行されて以来、世間からの関心を呼び起こし、更には2018年に再編成された「花甲男孩轉大人」は更なる大きな反響を呼ぶ結果となった。

また、「花甲男子」のみならず、PCゲーム「返校 -Detention-」、テレビドラマ「通霊少女 -The Teenage Psychic-」や「花甲男子」、若者の心の声を体現したとも言われているロックバンド「草東沒有派對(No Party For Cao Dong)」などは、ここ2年間で多くの注目と関心を集めている。これらの作品やクリエーターの出現は、現在の市場と視聴者の現実社会に対する態度の変遷を如実に表したものであると言ってもいいだろう。

やがて、自由を得た世代が大人となり、台湾社会全体が現実へと歩み出し「自分とは何なのか、自分はどこから来たのか、なぜ今があるのか」というアイデンティティの問題にも向き合うようにもなった。政治により統制されていた言語や民族性は、新世代のクリエーターたちによって取り除かれ始め、より郷土への深い感情とユーモラスな手法を用いて、自己を取り巻く生活や文化、自分自身の「郷土」の再解釈を行っている。

台湾文学から始まった「新郷土」という言葉は、 決して文学の創作の中だけで起こる現象ではない。「花甲男孩轉大人」や「大佛普拉斯- The Great Buddha+-」は、過去の作品の地元視点ならではの面白可笑しさや皮肉さの面影を残している。そして、自意識且つ更なる進化を遂げた姿で、既存のイメージに挑み続けていくことで、新たな「郷土」が再構築されていくのである。

従来の作中の登場人物は、苦難と犠牲を体験してきた抽象的な人物像であったが、時を経てようやく真の意味で、彼らから笑いや涙が見え、同時に素朴であり、誠実でもある。また、我々と同じように欲望や、弱さ、エゴイズム、不甲斐なさもあり、愛嬌さえ覚える。このように、新たに生まれ変わった「新郷土」は、現実味を帯びた十人十色のリアルな生き様を描き始めているのみならず、前世代に見られる郷土小説の核心をも継承している。

画像:「天黑請閉眼」ワンシーンカット 画像提供:好風光創意執行

社会的文脈から「リアル且つ台湾らしさ」を捉える

最も優秀なジャンルの作品の裏には、常にその時代の恐怖や欲望、社会問題が潜んでいる。「屍憶 -Shioku-」や「返校 -Detention- 」、「天黒請閉眼 -Close Your Eyes Before It’s Dark-」の作品が多くの注目と関心を集めたことから分かるように、国際ムービー作品の洗礼を長年受け続けた台湾の視聴者は、「台湾」というジャンルに対して強い気持ちと熱意を持っていることが窺える。

ホラーゲーム「返校 – Detention-」は、現時点でのジャンル作品の中で、かなりの注目を浴びた作品であると言ってもいいだろう。登場人物の細かな心理描写とホラー要素を通じて当時の白色恐怖による政治を忠実に再現している本作品は、郷土を越え、国際を跨いだ典型的な作品例である。

また、「天黑請閉眼」では、少しだけのサスペンス要素にも関わらず、多くの視聴者の好奇心を掻き立てている。この好奇心はストーリーから来るものだけではなく、我々が普段慣れ親しんだ成長背景によるものでもある。学生時代に仲が良かったサークル友達、次第に疎遠になった友情、生まれる軋轢などが渦巻く本作は、台湾の視聴者に共通するコアの部分を捉え且つジャンル要素を取り入れることによって、花を咲かせた作品の一つである。

台湾ドラマの台頭は、視聴者の国際的なジャンル作品に対する認識や共感性を指し示したのみならず、、台湾人クリエーターの優位性をも明示している。数あるジャンルの中から「リアル且つ台湾らしさ」という社会的文脈と心理的な特性を取り入れることにより、国際競争を前にしても盤石な土台をもっとして挑めるということである。

一方で、職業ドラマも目覚ましい発展を遂げ、同じくリアルさを重視した作品を数々と生み出している。過去の製作者の考えでは、テレビの世界とは非日常的なファンタジーを創造する場であり、「花シリーズ」や台湾郷土ドラマなどに見られる職場での闘争を誇張したような非現実的なものを作るという傾向があった。しかし、今の若い世代はこのような非日常的で非合理的なストーリーに反発さえ覚え、風向きは全く逆の方へと向かっている。

基礎がしっかりとしているアメリカドラマと日本ドラマは、自ずと台湾の視聴者がドラマを見る上でのものさしとなっており、新世代のクリエーターたちが模索する上での導きの役割も担っている。台湾ドラマの中には、アメリカドラマ「CSI」を倣った「CSIC-鑑識英雄」やアメリカや日本の医療ドラマを参考にした「麻酔風暴(WAKE UP)」、実話を基に改編た刑事ドラマ「落日-Sunset-」などが挙げられる。それぞれの内容は異なるが、如何に台湾らしさに繋げるかを模索しており、今となっては細かな製作過程までもが視聴者の愉しむ部分となっている。

「台湾の郷土ユーモア」を用いることで、避けて語らずから一転

歴史的価値観から距離を置き、厳かな外省文学だけが秀でた作品の基準ではなくなった。台湾の郷土ユーモアの全面的な復活が、様々な分野へと浸透していった。つまり、過去に見られるようなあえてユーモラスを披露したり、高圧な政治から逃れるための手法でもなくなった。むしろ、ユーモアを用いることで、社会と国における問題の核心に迫ることができるのだ。

テレビ・映画業界が未だ不安定な状況の中で、「大佛普拉斯」が最も時代の声を体現した映画だと言ってもいいだろう。70年代の台湾の郷土小説のコメディーさを残しつつ、現代化された映画コンテンツの作品である。俳優スターもいないなければ、バックグランドもない中で、台湾国内のみで売り上げ数が2000万枚を突破しようとしている。貧富の格差、人間の欲望や孤独、仁義道徳の裏に隠された人間の醜さが映画の中で表現されており、映画の中における笑いの一つ一つのネタが台湾の社会的文脈の中で実際に起こった闇と傷口でもある。

現在では、若い世代が様々な新しい媒介を用いて、タブーのないユーモラスなやり方で、過去に「高尚」が必要とされていた領域に足を踏み入れている。例えば、「台灣吧-Taiwan Bar-」では、深く且つ分かりやすい動画で台湾の歴史で幾度も論議されてきた政治問題に切り込み、悲惨と言われ続けた228事件までもを真正面から取り組み、彼らなりの再解釈を行っている。

一方で、「卡提諾狂新聞」では、フェイクニュースのようなスタイルで、有名人を揶揄したり、現代人の不可思議な現象を取り上げている。また、「玖壹壹」では、台湾らしさを電子音楽とラップに取り入れており、YouTubeの再生数で言えば、台湾国内の有名アーティスト「五月天」と匹敵するまでに至っている。

かつて、厳かな内容は避けて語らずという方法であったが、今ではより新しい切り口と語り方があるのかもしれない。媒介が映画やネットショートムービー、音楽、ドラマのいずれにせよ、台湾の視聴者は今の世代のリアルな声と台湾ならではのジャンル作品の発展を待ち望んでおり、内容の本質的にも形式的にも、これからも予想だにしない蕾が咲き誇るのかもしれない。

[1] 中華圏では、万能薬や特攻薬という意味合いで使われている言葉。

Via FOUNTAIN 新活水 https://www.fountain.org.tw/r/post/taiwan-genres